2016/10/09

beginning of the next


先日、次回の作品へ向けてのレコーディングを開始しました。

出産後1年2年は音楽のことを考える余裕もありませんでした(シンセ類やAbleton Liveの操作方法もすっかり忘れていたほどです)が、ここ1年はしぶといというかなんというか、出産直前に温めていたアイディアが消えることなく再び浮かび上がり、しかも程よく熟成されていて形に出来そうな兆しが見えてきたので、少しずつ下書きを溜め込んでいました。

今回はサックスの音、それに感じる質感やイメージを軸に声やピアノやその他の音色を使って作品を作ろうと思い、以前リリース後のライブで何度もご一緒させて頂いたサックス奏者の中村哲さんと新井一徳さんの音を素材として録ることから始めました。最終地点までどのようにいくか、その過程は手探りです。

Jeff Millsは、より多くの作品を早く作るためには「システム」が重要だと言っていました。その言葉に、素直にショック!自分に足りないものが何なのかといえばシステムそのものではないかと初めて気づき、もう多作に憧れるのは止めようと思いました。諦めは良い方です。私の音楽作りの過程はシステムも雛形もなく、想像だけを頼りにゼロから始めているので、毎回途方もない時間がかかります。本当にそれが嫌で嫌で・・・(笑)今回の録音過程で、少しでも自分のシステムが出来上がればと思います。

また、今回は発表する際に音楽の域だけではなく他分野の方と協力出来たらと考えています。こちらの方はまだ歩みだしてはいませんが、音がもっと形作られて来たら始めて行くつもりです。

それにしても、先日録音したサックスの音は私にとっては膨大な情報量!!これをどうするのだ。いくつか方法は考えていますが、、まあ誰にも急かされていないので、慌てずにやります。次回のレコーディング、年内に出来るかな・・・。

2016/07/08

lunuganga


今最も惹かれる場所、今すぐ行きたいところはと聞かれたら迷わずスリランカ、と答える。(以前はアラスカと答えていた。もちろん、アラスカは今でも行きたい。)もっと言えば、熱帯建築家ジェフリー・バワのホテルへ行きたい。そもそもは、BSか何かでジェフリー・バワの建築を柴咲コウが訪れるという短い番組を見て、そのインド洋を臨む「ジェットウィング・ライトハウスホテル」の激しさに度肝を抜かれてしまったのがきっかけだ。


こちらがそのホテルの代表的な景色なのだが、番組の中ではちょうどこの場所の収録の時に天気が悪かったようで、物凄く海が荒れていた。風が吹き荒れ、空は灰色で、海も灰色。でもそれが感動的なまでにエネルギーを放っていて、ホテルの洗練された空間との対比が最高に格好良かった。しかしどの本を見ても、この場所は上のように青い海をバックにした写真しか探すことができない。いずれここに行く時は、ぜひ海に荒れていてほしい。

一番上の写真は、「ルヌガンガ」というバワが作った理想郷。バワの邸宅でもあり、泊まることも可能。特にバワ建築に泊まる事に欲望はないが(むしろ、自分のスーツケースをあの素敵な空間に広げたいとは思わない)自然を「取り込む」と言うより、そこに巨大な岩があったらそのままにして周りに廊下を作ってしまうような豪快さを体感してみたいと思う。

結局、岩や樹木や空、海の美しさ、強さに対抗しうるものはないのでは、と思う。どのような建築も。それらをどう縁取るのか、どう動くのか、そしてそれらから身を守る小さな空間をどう造作するのか、という事なのでは。そういう考えを巡らせる事は、音楽を構成する上でとても重要だと思う。

それよりなにより、「ルヌガンガ」という響き、美しい。湿気と静寂を帯びたこの言葉の音楽を作りたい。

2016/02/28

Caribou

Photo by Michio Hoshino
 
星野道夫氏の写真集を見ていた時、カリブーの親子の写真が目に止まった。様々な色と生命に溢れきっている大地にすわり込み、遠くの何かを見ている写真だった。人が住む世界とはかけ離れている大自然の中、カリブーはそれを美しいとも素晴らしいとも思うこと無く、ただ息づいている。誰がこのカリブーの名前を知っているのだろう。他のカリブーが?この写真が撮られたあと、この母カリブーは子供とともにどこへ去っていき、今は生きているのだろうか。きっと生きてはいないだろう。

ふと、「このカリブーは私だ。」と思った。このカリブーの様に生きていたい、と言う事に近いのだと思うけれど、少し違う。憧れるような気持ちでは無いようだ。この、目も眩む様な大自然の中で、生命として在り、消えていく名も無き生き物と私の間に、何の違いがあるだろうと思ったのだ。特に哲学的に考え込んでいる最中ではなく、娘がバギーの上で寝てしまったために時間が出来たので、図書館に立ち寄ってパラパラと写真集を見ていた時にふと感じた事だ。

このカリブーと同じだ、と思うことはとても自分を安心させる。とても心地が良い。 誰の目に止まっても止まらなくてもいいのだ、名前さえ無くてもいいのだ、でも意志を持ってやってきて、やがて去っていく。

岡潔氏の、「春のスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。」と言う言葉がわかった気がした。