2014/10/05

scene life

Photo by Fan Ho

時は過ぎ、過ぎた時は一体何処へ行くのでしょうか?

川の流れに手をひたすと、手に触れた部分はすぐに過ぎ去って行き、いつでも「今」まさに触れる所にしか触れる事が出来ない、時の流れもそれと同じだと何かで読みましたが、川ならばいずれ海につながり、蒸発して雲になり、やがてまたそれが雨として地上に降ってきます。それでは時も未来へ向かって、やがて海の様な「時の渦」につながり、また雨のように「新たな時、もしくは過去」として降って来るのでしょうか?もしかしたら「時」は限られていて、本当にそういうものなのかもしれませんね。

・・なんとはなしにつらつらと書きましたが、そう、娘は時を重ねて1年とそろそろ3ヶ月を生き抜いて来ております。「自分の時間がない」と言われる育児。正確には、自分の都合で予定を組む事が出来ない、と言う事だと思うのですが、その束縛感を忘れてもう少しぐっと空から鳥のように眺めてみましょう。活きて過ぎ去って行った「時」が、「時の海」へつながり、やがてまた新たな「時の雨」として降り注いで来る、と思えば少しは素敵な感覚になりませんか!世の中のお母さまがた・・。まあ、こう言う思考は赤ちゃんが寝ている時に限られる、と言う事は重々承知しております。彼らが起きてしまえば、そうそう素敵には考えていられないですよね。

さて、最近心がハッとしたのが、Fan Ho と言う中国の写真家の方の60年前の香港の写真です。彼の写真は人々の生活そのものを切り取ったものですが、それは驚くほど美しく、音までも聞こえて来そうなほどに、躍動しているのです。こんなにも「生活」が美しく切り取られるとは・・・。この鋭敏な感覚は、素晴らしいです。

写真とはおそらく、「現実と写真家の思考が融合したもの」だと思いますが、Fan Hoがその時人々の生活を見て強烈に美しいと感じた閃光の様な感動が、画に鮮明に写り込んでいて、心が動かされます。まさに、その時のFan Hoの感動が、時を超えて雨のように私に降り注いだのでしょう。

クリシュナムルティの著書には「重い荷物を運ぶ人々の顔をあなたは観察した事がありますか?」と言う問いが多く出て来ますが、それは「ただそこに在る、名の無い雑草のような、あるいはひっそりと静かに空に向かって生きる大木のような、美しさ」を見逃してはいないか?と言う問いだと思います。Fan Hoの写真を見ていて、クリシュナムルティの問いの一端が見えた様な気がします。

そして、それは今の自分の生活においてまさに忘れては行けない感覚なのだと思います。