2010/11/24

On your shore



「世界の人たちに私がどのように見えるか、私は知らない。しかし、私自身にとって、私は浜辺で遊ぶ少年のように思われる。私はときどき、なめらかな小石や、ふつうより美しい貝がらを見つけては楽しんでいる。しかし、真理の大洋は、すべて未発見のまま私の前に横たわっている。」

この世にも素晴らしい言葉を残したのは、アイザック・ニュートン。
中学の時夢中で読んだ(挿絵中心に)科学雑誌NEWTONの元ネタのニュートン。
文章はカール・セーガンのCOSMOSより抜粋でございます。

この言葉に私は非常〜に重みと感動を感じていまして。彼の生きた時代に彼が勇気を持って成し遂げて来た事、発見していった事、そしてニュートンの発見はケプラーから第三法則(とやら)を受け継いで実っていったという事実、などを少しでも知ると、もの凄ーーく腹の底にグッと来るんですよ。人間讃歌を高らかに歌い上げたくなる感じとでも言いましょうか。

物理や科学に限らず、現代にもこういう知のリレーと、発見の喜びが続いている事を願います。何事も、受け継いでこそでしょう!

追求すればするほど、目の前に横たわる大洋の果てが遠のいて行くんでしょうね。
音楽においても。

2010/11/15

floating lotus



kaitoさんとの作業もいよいよ回転速度が増し良い具合に熱してきております。ぞくぞくと仮ミックスが届き、そのどれもが思いもよらぬ装いで返って来て、驚きつつ・感動しつつ・気合いを入れ直しつつ・興奮しつつの毎日です。

今回のプロデュースは、私のトラックをkaitoさんがその黄金の耳でブラッシュアップしまとめると言う意味でのプロデュースなので、皆さんが想像する「女性アーティスト、プロデュースby kaito!」な感じとはおそらく違う様な違わない様な、、でも多分ぜったい違う様な・・どちらでも良い様な。

本質的なプロデュースで、これぞ私が望んでいた形です。kaitoさんにはすでに感謝の気持ちでどうしようもないくらいです。が、まだ旅路は途中ですのでひとまず空気はピンと張りつめていきたい所存でございます。

リリース等に関しては、まだもう少し未定なのでしばらくお待ち下さいね。

2010/11/11

sophisticated & OVILI



先週、虎ノ門にある智美術館と言う所に初めて行き、これまた初めて現代の茶器の展示を見に行きました。陶芸にはとんと、と言うか全く興味を持った事はなかったのですが、朝日新聞GLOBEで記事を見かけて以来、もの凄ーーーく心にフックしてしまった小川待子さんという方の作品をどうしても見たくなり、ちょうど開催されていたので嬉しくなり行きました。

小川さんについての記事はこちらでも読めます。

彼女の作品はわずか2点のみでしたし、最初は結構ちまーっと置いてあるので、あ、これなのふーんみたいな感じでしたが、違う!何度か見るうちに、こいつは凄い!と大好きになりました。

1点は白銀の、両手の平ほどの大きさの何て言うんでしょうか、お皿のようなもので、表面に十字のようなクサビの様な模様が規則正しく並んでいるもの。もう1点は、灰青色のお椀くらいの深めの器でやや表面がつやっとしているもの。

・・と素人が言葉で説明しても全然アレなんですが、何が良かったかって、洗練されたものと原始的なものが小粋に融合してて、とってもスタイリッシュだった所!展示の仕方も綺麗でした。はい、彼女の作品に合う音楽はジェフの音楽です。洗練かつプリミティブ!・・って最近ジェフばっかりですね、ごめんなさい。

他にももの凄く美しい形のものやら力強い土器みたいなものもあり、現代陶芸がこんなに色鮮やかな世界なんだとは知らず、かなり驚き惹かれました。

ただ、あれは美しい飾り方をしなければ台無しですね。我が家なんかに置いたら、たちまちアンリが中で寝るか、誰かが足の小指ぶつけたりして邪魔者扱いにされそう。

2010/11/09

1107



11月7日はアンリ君の兄貴分、愛猫のレオ君の命日でありました。
マヨさんとカッフェのソッファーで夜中までおしゃべりで全く忘れていてびっくり。
あんなに胸に穴が空いたのになあ。忘却の哀しさよ。

・・・と、思ったのだけれど多分日にちを忘れる事はただのド忘れで、
レオ君は常に常に思い出を共にしてるんだと思う。
過ぎ去った事は、ひとつ残らず胸の底の底に沈んで行くんでしょうね。

私の持っているやさしさを全て猫達に!

2010/11/01

Blindness and sight



以前にも書いたと思いますが私はエドワード・ホッパーが大好きで、「私の関心は壁にあたる陽光を描く事のみにある」という彼の言にも凄く共感します。私は絵こそ描けないけれども、光と影の織りなすもの、じっと目が暗闇に慣れた頃に初めてわかる陰影に良く分からない無性なロマンを抱いていて、ジェームズ・タレルに惹かれるのも当然の事でした。

特にブラインドがもの凄く好きで、NYのマンハッタンなんかにある様なオフィスビルの最上階で真夜中、ブラインド越しに夜景をたった1人でずーっと眺めると言うのが夢です。そして夜景だけでなくブラインドを通って部屋の内部に落ちる影、これが私の胸を限りなく切なくさせます。何故こんなロマンを持っているんでしょうか全く身に覚えがないんですが、不思議なものですね。でも私の原動力のひとつでもあるんですよ。

影といえば、ここ1〜2年はテクノに夢中でその勢いはとどまる所をしらず、歌詞や歌声の世界から一旦遠く離れていますが、ジョニ・ミッチェルのShadows and Lightの歌詞をひっさしぶりに開いて読んでみて、改めてびびりました。その豊潤さに。光と影、黒と白、昼と夜、正しさと過ち、残虐の神に歓喜の悪魔、あらゆる相反するものを登場させて真実をあらわそうという姿勢はずっと一貫していて尊敬する所です。

音楽においても、光も影も同時にある、ジェフ・ミルズの言う所の"unclear"な音こそが豊かな響きをつくるもので、目指すべきはそういう所かなあと思っております。でも、混沌としているものじゃなくて、秩序のあるものね。カール・セーガン曰く、宇宙をあらわす「コスモス」という言葉は「カオス」の反対の意味だそうですから。そう考えると、ジェフは本当に宇宙に近づいて行っているなと思ってしまいます、恐ろしい事に。