Photo by Masafumi Sakamoto
長きにわたって写真を撮っていただいている写真家の坂本正郁さんに、4年ぶりに写真を撮っていただきました。ジュエリーは、幼馴染でアーティストの森口真千子さんの作品です。
by Mami Konishi also known as MINGUSS.
Photo by Masafumi Sakamoto
長きにわたって写真を撮っていただいている写真家の坂本正郁さんに、4年ぶりに写真を撮っていただきました。ジュエリーは、幼馴染でアーティストの森口真千子さんの作品です。
ふと、ピアノ特殊奏法のワークショップの先生に教えていただいた芦川聡さん(先生と非常に親しかったそうです)の作品を思い出し、改めて彼の名曲 ”Still Space" を聞いてみました。
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時が止まる思い。どうでしょう、この音楽の儚さは。
ひとこと、またひとこと、心に秘めた話を聞かせてもらっているような。。寂しさや哀しみがどうしようもなく溢れてきて、そのまま音として置かれていってしまったような。
この音楽を聴いていて思い出すのは、娘が3歳くらいの頃のことです。
夕暮れ時に、公園遊びを終えて家に帰る途中、自転車に乗りながら娘が突然、「ママ、死なないでね」と言ったのです。びっくりしましたし、不吉なこと言う子だな・・と思ったのですが、それより何より、なぜそんな事を言ったのか不思議でした。
後になって、きっとあの時初めて「寂しさ」ひいては「死」を感じたのではないかな?と想像しています。
夕暮れの寂しさと、静けさと、自転車に乗るママと自分、いつかは無くなってしまうもの、、それらがきっかけになって、どうしようも無い寂しさを心で感じたのではないかな、と。
あの時の空気、それをこの”Still Space"と言う音楽にそのまま感じます。
あの瞬間に娘と私の周りにあった空気そのもの、空気全て、です。
消えてしまうもの、寂しいもの、そして今はまだ有るもの。芦川さんの音楽から、無くならないでほしい寂しさをどうしようもなく感じています。願わくば、そこに静止していてほしい。
結局、アンビエントというのは何かという探求はやめにして、芦川さんの音楽を理解することに時間を使いたいと思います。
今、私は黄昏の時を生きているのではないか、と先日箱根を走る車窓からふと思いました。星新一の「黄昏」というショート・ショートが凄く好きであると同時に恐ろしく、今まさにその世界を生きている気がしてなりません。ご存知ない方はぜひ、読んでみてください。そんな黄昏の中で、できることとは。大切なこととは。もうそんなに多くありません。より良き道を歩もう。
お知らせとしては、今年3月にCHANELエンゲージメントリングのムービーに、風のような一瞬の音楽を制作しました。お見知り置きをください。いくつかのキーワードをもとに音楽を制作したのですが、それが物凄く楽しかった。音楽を作る際に、一番拠り所にしているのが言葉であるので、それをいただければいくらでも旅をしていけます。
去年から引き続きピアノの特殊奏法のワークショップに参加しており、今後はピアノ演奏にも力を入れていきたいと思っています。
The Farthest Desertをリリースしてから早1年ほど経ちますが、最近はもっぱら現代音楽の講義や、ピアノの特殊奏法の講義などに足繁く通い、相変わらず対位法の初歩を細く長く続けております。
何を目指しているのかというと、もちろん次の作品です。長い時間をかけて取り組みたいテーマがあるのですが、今までの方法ではどうしても微妙さが足りないと言うか、、。かと言って学んだ技法が役に立つと思っているわけでは無いのですが、何か1ミクロンでもヒントが転がっていまいか、と鉱山を掘っております。
同時に、もうそろそろリリースにまつわるイベントを考えています。日を追うごとに時間の感覚が長くなり、実現するのは早くても2020年度の予定です。リリースしたものをどのように演奏するかというのは、いつも悩みの種、そして次の段階への種であるので、ここはじっくりと、、。構想としては楽器を中心に、The Farthest Desertが新たなものに変化してゆく過程のような演奏を計画中です。
さて、私は常日頃ピアノを中東の楽器のように鳴らしたいと思っているのですが、そのきっかけとなった人物、私のヒーロー、謎に包まれた演奏家であるMichael O'sheaのトーク&演奏動画を見つけて、その実演に感動すると同時に、人物像に多少動揺しております。は・・歯が・・!そして、耳にバチを突っ込んでゲラゲラ笑ってる。。。かなり想像とは違う方でしたが、それは私の勝手というか、この映像が全てというわけでも無いので、そこはおいておいて、演奏はやはり凄い!永遠に聞いていられる。きっとO'sheaの頭の中の音が全て溶け出しているんだろうなあ、と。動画中、耳にバチを突っ込むのは冒頭と、2分33秒頃、演奏は2分54秒くらいから。
O'sheaのオリジナルの楽器、"Mo Cara"をどのように鳴らしているのかものすごく知りたかったので、嬉しい。この手法はピアノにも使えるのでは無いかと思うのだけど、やはり弦を鉄(?)のバチで叩いたときの複雑で幽玄な響きは、ピアノにはちょっと出せないのかな。永遠に手の届かない、憧れの音があるって、良いですよね。格好良い、憧れの音楽家です。
*残念ながら動画は見られなくなってしまいました。ご想像にお任せいたします。
Photo by Rachel Sussman
何年か前、ドレスデンに住む大切な友人を訪ねた時、画家であるパートナーの女性がまるで当たり前の事のように、私の為に描いた油絵をプレゼントしてくれた。心のこもった創作物を突然頂いた事にも感動したが、そこで初めて絵画を始めとする「形ある芸術」と「音楽」の違いに気づき、創作者自身によるものは世界にただ一つしか存在しない芸術はなんて素晴らしいのだろうと、ほとんど憧れに近い感情を持った。
音楽を形にするには楽譜や録音媒体など何らかのメディアに留めるしかないのだけれど、そうではなく、もしも…その場所に行かなければ絶対に耳にする事の出来ない形の音楽、その場所に行きさえすれば自ずと聴こえてくる音楽があったならば、と想像する。
音楽家がその場で演奏をする、それは確かにその場所に行かなければ聞けないあらゆるものがそこにあるのだけれど、そうではなくて、あくまで演奏されるのはその「形」によって、であるもの。途方もなく無名で、辺鄙なところにある、何千年も生きてきた古い樹のような音楽、、、夢のようなお話だけれど、そういうものがあったら、創れたら、と思う。
上の写真は、私が以前からとても心惹かれているレイチェル・サスマンという写真家のプロジェクトの「世界で最も長寿な生き物」に登場する、ウェルウィッチアという原始的な針葉樹(!)。ナミビアとアンゴラにのみ自生するそうだ。数万年前に北アフリカで起こった洪水によって運ばれてきて、砂漠に適応するようになったと考えられているそうだが・・・まさに、この樹のような音楽があったら・・・!果てしのない理想ではあるけれど、名もなきカリブー、名もなき樹、(彼らには名前があるのかもしれないけれど)それらに少しでも近づけるように、音楽を創って行きたい。